作成日:2016/02/16
名 言
名 言
「四十にして惑わず」とは孔子が晩年に言ったことばで、『論語・為政』の「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」の中の一節である。
成程、私の好きな人物の一人である吉田松陰などは、既に三十手前でこの域に達していたような風貌をしている。彼が逝ったのは満で29歳であった。残された肖像画を見る限り、まるで年金受給者のような老いた顔をしている。 これを成熟した顔とでもいうのだろうか? なんら迷いもなくあの幕末の時期を駆け抜けていったのであろう。
翻って自身を見てみるとまるで成熟していない。60を過ぎたのに今だ迷いの多い人生を送っている。少しでも孔子あるいは松陰の心境に近づこう(恐れ多いことであるが)と思い座禅を始める。場所は相模原市内新戸にある常福寺、日曜日の朝7時からである。約一時間の座禅の後、境内の掃除と参加者との懇談、合わせて二時間の修行である。
住職に動機を問われたとき、前述のような話をしたところ「幾つになっても迷いから解放されるものではない。寧ろ『迷うことに迷わなくなる』」心境も必要ではなかろうかと返される。
それも成程と思う。しばらく常福寺通いが続きそうである。